「ナチュラリスト」を名乗ってます。それ以外の肩書や役職はありません。きっぱり前職と縁を切り誰にも気兼ねなく生きる、心の底から自由の日々です。たぶん私ほど定年を心待ちにしていた者はこの世にいないと思います。
さてしかし、ナチュラリストというのも微妙な言葉です。私の敬愛するナチュラリストのドリトル先生は、最初に翻訳した井伏鱒二から「博物学者」の訳を冠されました。それに異論はありませんが、私には当てはまらない。学者じゃないから。「自然観察者」と自称することもありますが、収まりのいい日本語とは言いづらい。それに「観察」ばかりじゃないんです。
文化の日よ、「晴れの特異日」の名に恥じぬ働き、誉めて遣わそう。秋の恒例行事となった、今日はキウイ採りの日です。
沢の上に繁茂するキウイの木。
大豊作です。昨年は不作でしたから、隔年現象なのでしょう。
不揃いなのは摘果とかしないから。それでも十分に家庭菜園レベルのが実ってました。
ああこの浅ましさ、触れるを幸い百個以上収獲してしまいました。
人の物じゃないかとご心配なさるのもごもっともです。確かに、ここは沢が大きく蛇行し河原が平地になった場所です。人家は無理でも作業小屋くらいはあったかもしれないし、持ち主はその傍らに雌雄のキウイを植えたかも知れません。そんな物語の臭いが残る地です。でも今はヤブが生い茂り完全に放棄地。さらに言うなら、私は沢の上に張り出した枝の実だけを採ってます。塀を越えた柿の実は取っても罪にならないというアレです。我ながら抜け目ないなあ。こういうのが学者に向いてないとこなんだよなあ。
ちなみに、やぶから上がった時にズボンにびっしりとこんなものが。ムシ嫌いの方、悲鳴を上げないでください。これは植物です。ノブキと申します。このあたりの平地では珍しいものです。観察者の眼はちゃんとあるのさ、うふふ。
このキウイ採りと話は前後します。10 月の茨城生物の会は恒例のきのこ観察会。何の責任もない私は自由に振る舞ってます。自由すぎて記念撮影の場に居なくても無視されました。そういう会なのでどうということはありませんが、懐いてる子供たちが探しに来てくれたのには恐縮しました。
ベニヒガサ。以前は行事全体の記録写真を撮ったりしてましたが、今ではもう心の赴くままにシャッターを押します。
ドクベニタケ。ああ異形の生き物。キノコはいくら見ても飽きません。
ムラサキホウキタケ。
トガリベニヤマタケ。
これは何でしょう。
ルリハツタケと申します。
意味もなく表面拡大。こういうのが楽しいんです。
こちらはハツタケの老成したやつ。
ひだの拡大。ああ楽し。こういう何を写したんだかわからない写真が好きな変態です。
ムラサキフウセンンタケ。微妙に不気味な形も含めてステキなキノコですけど、図鑑の物と比べると最大の特徴である「色」が薄いような気がします。ウスムラサキフウセンタケというのもありますが、どうなんだろう。
一枚だけ、ムシの写真をお許しください。
ヤマトシロアリ。参加の子供たちの中に、朽ち木を見ると崩してクワガタ探しを始める子がいて何とも頼もしい。その子がおおと声を上げたのは、シロアリがわらわらと出てきたから。うん、いいものを見ましたね。そういう驚きの体験がナチュラリストを育てます。日本の科学分野ノーベル賞を受賞された先生方はお一人を除きすべて地方出身者で、子供のころは昆虫採集が大好きだったと声を揃えます。自然に驚き、畏敬の念を持つこと。それが科学の出発点。大切なことです。
秋の陽にキンエノコロが輝き
ノコンギクが花弁を震わせます。
これはアカイチイゴケと言って、赤くなったり緑になったり信号機みたいなコケ植物。
胞子のうを伸ばしていました。森の奥で密やかに生を繋ぎます。
久慈川メノウ教信徒の皆さま、最近報告がないとお嘆きやも知れません。この夏の暑さに加えて、現場に出てもメノウがないという状況が続いております。記事を書かないのではなく「書けない」のです。
玉川に行っても、出たのはメノウならぬクサガメ。わあこんなん居たんだあ。
いじめないよー。そういや以前にスッポンも見たっけなあ。深いぞ玉川。
久慈川本流も、ある日はなんと一日で5カ所を巡る荒行に挑んだのですが
大したものは無く
むしろどこでも河原が荒れて、この写真の場所はまだ歩けたので良い方でした。2カ所では以前には歩けた河原が身に倍するススキやオオブタクサやセイタカアワダチソウやクズに覆われて、挑戦はしましたが汗だくになった挙句に撃退されました。
ヤブに四苦八苦している傍らをキタテハが飛び回ります。ああキミらは空を飛べていいねと思いましたが、彼らには空でも飛ばなきゃやってられない現実があることを想い出しました。楽に生きてる奴なんてこの世にいない。私はようやくにたどり着いた今の境遇を神に感謝しなくてはなりません。
花、実、虫、キノコ、メノウ、鉱物。そんなものたちの色、形、生きざま。吹く風の温度、ささやかに放たれる香りや大気に満ちるにおい。そこで出会う人、そしてその地に隠された物語。私がフィールドで見て感じるものを並べると、やはり「博物学者」なんて名乗るのは不適切、せいぜいが「博物屋」。それでいいと思ってます。
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