先の記事の、西金砂からの帰り道でのお話です。
水戸への道を一路南に飛ばしておりました。夕焼けの里山、野焼きの草木のにおいに晩秋の気が漂い、山の影はもう紫の闇の中です。すると一瞬、赤い西空のある右の車窓をそれより紅い光が横切りました。何だ? 畑のようでしたが、作物ではありません。
すぐ先の広場に車を捨てて、広角レンズを付けたままのカメラを手に道を戻ります。
わああ。
何だこれは。見たことがあるようで、でも種名も科名すらも出てこない、そんなものが一面に畑を埋めてます。丈の低い草で、ピンクの花に紅葉した葉。ただ赤い要素のみで構成された草花が、夕焼け空をバックに照り映えていました。むかし写真で見た「火星の夜明け」がこんな色調だったな、なんて。この世ではないどこかに足を踏み入れてしまったような異界感。夢中でシャッターを切り続けました。
一息ついて、少し冷静になってこの土地を見回してみます。古い宿場の外れの農村地帯が始まるあたり、赤く染まっているのは一枚の大き目の畑地。水戸の街中なら家十軒ぶんにはなりましょうか。よく見ると夕闇に沈む遠くの一隅にネギやらハクサイやらがありますがせいぜい自家用、もう農業をなりわいとはしていないようです。隣接する小さな家との境には低い垣根があるのみ。
すると家の玄関からひとりの老婦人が出てまいりました。距離があるのでやや大き目の声でこんにちは、ここのお花はお宅のものでらっしゃいますか。
こういう所のご老人は、笑顔で礼を尽くせば相手がよそ者でも声掛けに応じてくれます。婦人はわざわざ道まで出てきて、花の由来を語ってくれました。いわく、これは富士のふもとにしかない特別な花だと。そちらで商売を営む親類が送ってくれたものだと。丈が低く、冬には枯れて消えてくれるのでコスモスやマリーゴールドと違い刈り取りの要がないこと、毎年勝手に芽生えて春と秋によく咲き、手間がいらないこと、今はひとり暮らしであること…… 夕映えが山の端に消えるころ、重ねてお礼を言ってお別れしました。
園芸図鑑でこの花の正体が知れました。
和名 ヒメツルソバ 別名 ポリゴナム
タデ科 イヌタデ属 ヒマラヤ原産 明治期に渡来
寒さにやや弱く、関東より北では地上部が枯れる 暑さと乾燥には強い
ほふく茎から次々と発根して増え広がる
もちろんこんな図鑑のウンチクを老婦人にお伝えするつもりはありません。婦人にとってこの花は、ご主人を亡くされたその寂しさを慰めようと気遣う親戚から贈られたものです。それは霊峰富士の神気をまとう特別な花で、富士のほかにはここにしかない。ご主人と二人で一生懸命耕した畑、今はもうその力を持たぬ自分一人に代わって畑を守る者です。無数に開くピンクの花と炎暑にひるまぬ緑、そして秋の紅葉で目を喜ばせ、通りがかった人を驚かせ、時に言葉を交わすきっかけを作ってくれる者です。この美しい物語を汚す権利など誰にもありません。私にとってもまた、それは一つの語られるべき物語でありました。
金星が指し示す帰路をたどって家に帰り着きました。昼に雨に降り込められたことなど忘れてます。「物語」があればこそ人は日々を平穏に生きていける、それを改めて知り得たよい一日でした。
↓ 夕映えを往く。
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