ある野外施設のお話をします。県を中心とした行政の関係者が心血を注ぎ、ある者には栄達を、ある者には絶望を与え、しかし何よりそれを利用した多くの人たちに一生忘れ得ぬ思い出を残し、時代と運命に翻弄された天上の園です。
はじまり
里美牧場というものがありました。茨城県北部の福島県と県境を接するあたり、かつての里美村、今は常陸太田市の山が連なる山中に、初めは名の通り牧場として明治時代に開かれました。やがて戦後の 1962 年、広大な山の斜面が切り拓かれて放牧地になりました。
歓 声
さらに 1972 年、当時流行した「野外学習」の流れに沿って、牧場の南側の山間にこれも広大なキャンプ場が開設されました。名を「茨城県立里美野外活動センター」。当時はキャンプのような野外活動が子どもの心身の発育に良いとされ、夏休みともなるとさまざまな団体が企画する宿泊学習で大人気でした。この施設は県の教育委員会の所轄で、職員になると出世が約束されるというので教育関係者に人気の転勤先でもありました。
その中心となる管理・宿泊棟。この建物を指して野外活動センターと言ったりもしました。有名な建築家の設計で、新聞に「レトロ建築遺産」として紹介されたこともあります。
見 参
私が先輩に連れられて初めて里美牧場を訪れたのもこの頃です。山に囲まれたここはまるで箱舟のように貴重な昆虫を隠し育んでいて、例えばこれ、ウラジロミドリシジミ。
カシワを食草とする希少なチョウで、茨城では珍しいカシワが生育するここ里美牧場はほぼ県内唯一の産地なのでした。またたくさんの牛が飼われていたことから、牛糞に集まるコガネムシの仲間「糞虫」が豊富に採集できました。あ、ボクじゃなくて先輩がやっていたんですよ。
ヒートアップ
さて、野外施設が好調なこともあって、県はこの地に情熱を注ぎ続けます。1991 年に作られたのがこれ、宿泊施設 プラトーさとみ。牧草地の一角、標高 780 メートルの山頂に天文台まで備えてます。内部には立ち寄り客も利用できるレストラン、周辺には立派な一軒家と見まごうバンガローがいくつも建てられ、バーベキュー場、動物ふれあい広場、ローラー滑り台、展望台風車とまあフルラインナップ。たぶんお役人はここを一大高原リゾートとしてぶち上げたかったのでしょう。
個人的には、高校生の天体観測合宿に何度も参加させていただいた思い出の施設です。
ぐるぐる
この地をネタにした行政の野望はまだ終わりません。地元・里美村から東大に行った人がいて、おらが村始まって以来の秀才じゃあというので村長さんに選ばれました。この方がプラトーに隣接して 2002 年、ドイツ製の風力発電風車を建てちゃいました。クレーン車やトレーラーを入れるためにわざわざ道を造ったそうです。そしてそびえ立った風車がよっぽどかっこよかったのか、行政により 2006 年にさらに6基が作られ、風力発電塔がにょきにょきと林立する異様な風景をかもすことになります。で、どういう取り決めがあったのか知れませんがこれら風車は 2008 年にすべて民間会社に売却されました。
2005 年、まだ風車は1基
2009 年、7基。奥久慈男体山付近からの遠望ですが、水戸からも見えます。
西側の2基と、写真の左端に今は無き三鈷室山の電波塔。
この2基はプラトーから見てもいい絵になります。
里美牧場。この山間の僻地が、なんて重層的な来歴を持つものか。それぞれに下心もあったのでしょう、お役人たちの並々ならぬ情熱が注がれ続けました。そう、あの日までは。
暗 転
2011 年、福島原発事故。原子炉建屋が水素爆発を起こし、人界にあってはならぬ核種が空気中に放出されました。はじめ西向きだった風も南から北東に変わり、密に放射能を含んだ雲が西へ南へと流されました。周辺より標高の抜きんでた里美牧場をこの放射能雲がかすめて行きました。セシウム137 は半減期 30 年。人体に蓄積されにくい核種ではありますが、放射能には違いありません。
結果。人の利用する施設周辺は除染されましたが、牧草地ぜんぶなんてそりゃ無理でしょう。動物広場は閉鎖、ローラー滑り台撤去、展望台風車閉鎖。…… そして酪農撤退。百年続いた牧場で、もう牛が草を食むことはありません。
タチフウロ咲く草原はいずこに。
そして
2021 年、プラトーのそばにオートキャンプ場開設。必死に時代に添い寝しようと。
2022 年、かつての牧草地の一部をメープルカエデの森に変える計画が始まりました。
2024 年、もはや県が持て余す野外活動センターは民間に売却されました。
いま
2月の初め、久しぶりにプラトーさとみまで行ってきました。
標高の高いここは茨城の「雪の特異点」。むかし天体観測の講師に東京から呼んだ偉い先生が、いきなり始まる雪道にビビッて、山の下に車を捨てて歩いてプラトーまで登ってきたなんてことがありました。
ここを車で行くと必ず見かけるのが野生化したネコ「ノネコ」。最強の肉食獣かも知れません。もふもふしてます。零下十度になる寒さも別に辛いとは思わないでしょう。ただ目の前の現実を受け入れるのがネコです。ちなみにノネコは決して人に馴れないというか人を相手にしません。決して近づいてこないしこちらを見ようともしません。クールだぜ。
プラトーより。那須のお山は上半分が雲の中。ああこんな絶景だけはかつてのままです。
上にある牧草地だった頃の写真と比べてください。灌木が荒れ茂り、やがてここは低木林から高木林に、そして森に呑まれて行きます。時代と運命に呑まれるように。
新たな取り組み、メープルリーフ(サトウカエデ)の森づくり。もはやこの地に野望を抱く政治家や役人はいないでしょう。そうこれは残された者たちの負う責任です。
たくさんの大人の思わくと、たくさんの子どもの思い出と。
里美牧場という物語、その一つの時代エポックの終幕なのかと。
※ 何もかも終わった、的まとめですがプラトーさとみも旧野外活動センター(Forest of THENと改名)も絶賛営業中です。どちらも冬季休業があるのでご注意ください。
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