フサザクラという変わり者の木がありまして。森の奥の沢沿いに生える落葉小高木です。フサザクラ科という聞かない分類で、この科は国内では1科1属1種、海外でも中国に近似種が1つあるだけという、つまりは栄えていない、栄えることなく消えゆく、そんなマイナーな一族です。ううむ身につまされるなあ。
なによりの特徴は漢字で「総桜」と書く名の元になったその花。花びらもがくもなく多数の雄しべをデロデロと垂らすさまは一種異様で、風媒花とはいえ実用一点張りの思い切り構造。それで成功しているかというと前述の通りで、たぶん古いふるい不器用な生き方を変えられずにきた者なんでしょう。
葉も独特のひしゃげたカメノコ型で、秋遅くに県北の山を歩けば珍しいものではありません。難しいのはそのごく短い花期でありました。3月末から4月アタマというのは年度切り替えの私の仕事が特に忙しい時期でお花の撮影なんかやってられるかっちゅう頃合い、自由の身になって真っ先に撮りたいものではあったけどもっと華やかなものを優先し続けてしまった。今年こそは。
やって来ました今年二度目の武生林道。私が仙境と呼びます。フサザクラは冬芽の形も独特で、ここに木があることは知っていました。
で、もったいぶった割にはすぐ発見、これがフサザクラ。花期ぴったりだったのは何と幸運。
知識なくば遠目には新芽の展開にしか見えないでしょう。これで花盛りの状態です。
赤いのが雄しべ、見づらいけどその根元に白くぽよぽよしてるのが雌しべ。
昔話をお許しください …… 三十年ほど前のこの季節、房総半島を旅したことがありました。まだ下っ端で、3月末がさほど忙しくなかった時期です。養老渓谷に一泊、勝浦海岸に一泊、それはそれは楽しい旅でした。その養老渓谷のフサザクラがまさに花期ど真ん中で、谷間を赤く煙らせるような光景が脳裏に焼き付きました。ぜひまた見たい花でした。…… あの日は遠く、花は変わらず。自然のありがたさよ。
わあいつぞや登った明山みょーやまだあ。高所恐怖症の身でよくあのてっぺんに立てたなあ。
せっかく山上の仙境まで来ました。武生神社にお参りして、他の自然も見てみましょう。
アカタテハの越冬個体が盛んに飛び回ると思ったら、何やらこの植物に固執し始めました。萌え出た葉を次々と移動し触れて回ります。
イラクサ科のカラムシという植物です。ははんさては。
卵が産み付けられていました。母蝶が冬のあいだ守り通したおなかの次世代をカラムシに託す姿でした。近づいて接写をする私の周囲を母は迷惑気にうろつきます。どきな、おどきったら。アタシにはもう時間がないんだから。この冬の極寒と乾燥を耐え抜いたのは食草が芽吹くこの瞬間のためでした。邪魔してはいけません。
前回はまだ開いてなかったクロモジ。
キブシも花盛り。
ミヤマキケマン。この類のキテレツな花姿は春の楽しみです。
ヘビイチゴもしっかり開いてました。
こんなところにも咲くのだ。
マルバスミレ。
エイザンスミレ。このかすかな紫色を指して深窓の令嬢と私は呼びます。ほめ過ぎか。
さて問題はこのスミレ。とうとうここにも現れたか。種子が車のタイヤに付いてきたのでしょう。ネットにこいつの写真を上げるほとんどの方が「アリアケスミレ」としています。ごく一部の方がスミレの変種「シロガネスミレ」を疑い、私もその名で呼んでます。ここ数年で瞬く間に県北山地にまで分布を広げ、路傍や休耕地を埋め尽くしています。アリアケスミレは暖地のスミレで茨城県はその太平洋側の分布限界、水戸にはなくかつてわざわざそのために利根川の河原まで写真を撮りに行きました。同じ株から出た花でも色合いが一つずつ違い、その多様さを刻々移り変わる有明の空に例えたのが名の由来です。ところがいま北方に分布を拡げているこれは白地に紫のスジという形質のみ。画一的でさながら工場に並ぶ大量生産品。寸分変わらぬカオがどこまでも続くさまは興趣のかけらもなく、とてもアリアケの名で呼べません。ごめんなさいまだ受け入れられません。
飛行機雲ぶーん。
草むら、というか枯れ野を行くと次々飛び立つのはツチイナゴ。これも厳冬を乗り越えました。
冬を越えてようやく色付くアオキの実。春であります。
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